お盆らしく、祖父の話2018

 僕の祖父はもうかなり前に亡くなっているのだが、
戦争に出征しているので、今でもその話が出る。

予科練にいたことは、僕が子供のころに聞いて
知っていたし、あと半年、戦争が続いていたら
特攻隊で特攻し、死んでた、と何回か聞いた。

子どもの頃は、ふーん、という以上には
思えなかった。

大人になり、世の中のことが
少しは分かるようになったり、
「永遠の0」ブームがあったりして
子どもの頃よりは分かるようになってきた。

祖父の昔の写真が出てきた。

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それによると、もう少し詳しくわかり、
祖父がいたのはS県の海軍航空隊で
15期とのこと。

ネットで探した別の資料を組み合わせると
1944年10月1日に甲飛15期予科練習生は入隊している。

そして1945年の6月には、祖父のすぐ前に入隊した
13期、14期予科練習生が特攻隊に転隊しているので、
本当に、戦争があと半年どころか
もう少し長く続いていたら、
15期の祖父も特攻していた可能性が高い。

また、ネットで見つけた別のこちらの資料に書いてあることを
読んでいて、祖父の話の記憶がいろいろと蘇ってきた。

資料

手旗信号を練習していたこと、上空をB29が飛んでいっても
戦闘機はあれど、燃料がなく、みな悔し涙を流しながら
見送ることしかできなかったこと。

そして「総員バッター」の話、当時、祖父は面白おかしく話していたので、
子ども相手に脚色しているんだろうと思っていたが、
各種の話やこの方の文章を読んでも、
連帯責任やらなんやかんやと理由にもならない理由をつけて
かなり壮絶に、上官から殴られまくっていたようだな、、、

ともあれ、戦争は終わり、祖父は帰ってきたので
幸運だった。

もっといろいろと話を聞いておけば良かったし、
今ならもっと理解できるのに、、、 と悔しく思う。

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