ダニエル・クレイグのボンド論

15年前、初の金髪碧眼のボンドとして
「こんなのボンドじゃない!」と
叩かれまくったキャスティングだった
ダニエル・クレイグ。

その彼が、ボンドとしてここまで大人気となり、
「スペクター」で御役御免となるはずが
「もう一本!」で立派な花道(No time to die)まで
用意してもらうことになるなんて
本当、人生分からない。

【なるべくネタバレはないようにします]

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まだ若くて、血気盛ん、
荒削りな半人前から一人前になるところを
描いていた「カジノロワイヤル」や
「慰めの報酬」の前期クレイグに対し、
「スカイフォール」「スペクター」の
後期クレイグは、だんだんと体力の衰え、
自身が時代と合わなくなること、
若手の台頭、
上司の交代(ディンチ好きだったなあ)など、
世代交代的なことも
テーマの一つに掲げられていたように思う。

J・ボンドと同じ時代を生きる者として、
このあたり、すごく共感できた。
仕事では若手、半人前として扱われていたのが、
いつの間にか中堅となり、
そしていつしか若手や中堅を指導する立場に
変わっていく自分を重ね合わせてしまうというか。

若い者たちがわいわいやってるのを見て、
以前は自分はその渦中にいたのに、
いつの間にかそれを外から見る立場になっている
ことに気がついた。

これって、ボンドが、
新世代Qや新マニーペニー、
新人エージェントたちを見ている眼差しに
同じようなことを感じている気配があるように思った。

さあ、泣いても笑ってもD・クレイグ時代の
007はこれでおしまい。
むしろファンとしては、「スペクター」で終わらずに
「No time to die」で完ぺきな花道を用意して
もらったことに大きな感謝の気持ちでいっぱいだ。

ダニエル・クレイグ、お疲れさま。
007 ダニエルは永遠に。

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