センチュリーを見て、フェラーリやロールスロイス社会論を考えた。

モビリティショーはさながらAKIO劇場。

過日の発表以来、これだけ
「センチュリーブランドはレクサスより上!」と
連呼されると、そうか、オレはレクサスにはもう乗った
(MORIZO RR)し、次はセンチュリーか!!
という気持ちになったが、
いや、ちょっと待てよ、、、と思った話。

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欧米のクルマ好き、特に英国人と話していると、
どんなにお金があっても
「ロールスロイスは僕が乗るクルマじゃない」
「僕はジャガーぐらいまで」的な発言を聞く。
フェラーリに対してもそのような感じの
発言を聞く。

今までそれを聞くと、
え、お金あって乗りたいなら買えばいいじゃん、
乗れるじゃん、と思っていて、その気持ちが
理解できなかったのだ。

だが、センチュリーブランドのクルマがでた今、
センチュリーいいな、乗りたいなと思う一方、
でもこれってそれなりに社会的地位がないと
全然似合わないよな。
一番似合うのは、公的な、指導者的な地位にある人が
公務で乗ることだけど、
(いや本当の一番は皇族だけど)、
例えば、地元の自治体の幹部レベルじゃ
センチュリーの格に全然合わなくておかしい。
市長とかでも小さな市だとセンチュリーの格に
負けちゃわない??
せめて県知事レベルじゃないと。

ロールスロイスやフェラーリは、
僕にとっては「外国のクルマ」であり、
ある意味、そういったヒエラルキーの外側に
存在していたため、
お金があって好きなら乗れる感じだった。
だが、これが日本の会社のトップブランドとなると
途端に日本社会のヒエラルキーに組み込まれ、
お金だけあっても乗れない、という
欧米人がロールスロイスに対して抱く気持ちが
一瞬にして理解できた。

そうか、そういうことだったのか、、、

僕がセンチュリーに乗りたいと思っても、
セダンは公務じゃなきゃハナから似合わないから
論外だけど、
*そういえば、会社へ行く途中、とても個人宅とは
思えないとてつもない家があるんだけど
(正確には、門が凄すぎて、家は見えないんだけど)、
そこに時々、センチュリーと運転手が止まって
主人が出てくるのを待つ光景に遭遇する。
果たして、何者なんだろう、、、

もう少しカジュアルではみ出た感じの
SUVやクーペなら、ワンチャンありかも? と
思うが、似合うためには、地元の町長になるか、
起業してそれをある程度大きくして
創業社長として君臨するかくらいしないと
「センチュリー負け」しちゃって
乗っていても全然かっこよくないよな。

その点、レクサスなら、別にLSだろうとLXだろうと
そういう気負いはなく、あっさり乗れるような。
気軽に乗れる気持ちにさせないところが、
センチュリーブランドのブランドたる所以か。

とまあ、センチュリーの発表を見て、
不遜にも「欲しい!」と思ったことにより、
思いがけずブランドについて考えることになった。

その点、死ぬほど好きなら
社会的地位とか関係なく、お金さえ工面できれば
若くても年取っていても似合うスポーツカーは
案外、(相対的に)敷居が低いのかもしれない。
フェラーリやポルシェ乗るのに、社会的地位は
特に関係ないような気がする。
いや、むしろ安アパートの露天駐車場で
カップラーメン食べながら維持、とかも
カッコいいような。

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