「最後のピース」(小説)

皆、「過去を振り返るな」と言うが、
過去を蔑ろにしていいのだろうか。

稀崎佳輔は時々、考える。
今していることや未来にすることも
結局は過去となる。
その過去がまるで意味がないものであるかのように
考えるのであれば、つまりそれは今や未来についても
意味がないということにならないだろうか。

sponsoredlink

土地は、吟味した上、N大学への通勤に近い那古野市の丘に買った。
建築関係の雑誌を何誌か見て、作風が自分の感性に近い
設計事務所の何軒かにコンタクトを取り、
考え方の近い建築家に家の設計は頼んだ。
稀崎が出した条件は1つ。
「面白い空間であること」
独身の稀崎にとっては、自宅はいわゆる生活しやすいとか
バリアフリーとか、便利という必要はなく、
インスピレーションの源泉であれば良い。

あとは、ガレージで愛車の世話ができること。
自宅で仕事をすることが多いので、集中できる書斎といったところだが
それは瑣末なことで、稀崎にとって大事なのは
日々、生活する空間が、刺激を与えてくれ、
毎日に活力を与える存在であることだった。

賃貸時代から使っているいわゆる名作家具を
運び込むつもりでいる。
一方で、テレビは見ない稀崎は、
TVアンテナ回線を設置さえしないという潔さ。
「10年後、知能があってテレビを見ている人はいなくなるだろう」という
尖った意見だった。

究極まで凝り抜いて自分の趣味、センスを追求した住まいに
しようとしているが、何かが足りない。
その何かをずっと考えていた。

秋のある晩、仕事の後、散歩しながら皆既月食を眺めていて
その最後のピースが何かが分かった。

そうだ、スターリンクだ。
稀崎の家は、ソーラールーフや蓄電システムで
極力、既存のインフレに頼らないように、
少なくとも全面的に依存することはないように腐心してきた。
スターリンクを使えば、ネットワーク回線についても
衛星と直接やりとりできるようになり、また一つ、
既存インフラへの依存度を下げることができる。

愛用のMacBook Proで
早速、スターリンクの申し込みページを開いた稀崎だったが、
那古野市はまだサービス提供対象エリア外だった、、、

そんなこともあるか。
稀崎は、カフェオレの入ったマグカップに口をつけた。

Share Button

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA