【小説】コーヒーラン

「…屋根を開けて」

珍しいことに、助手席の工藤久絽絵が言った。
断る理由もないので稀崎は、ポルシェの屋根を開ける。

英語では、2人乗りの幌車はロードスターなどと表されるが、
まさに道路を走るために生まれてきたようなクルマだ。

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バスっという音とともにドアを閉めて
車内に納まる。
運転席の稀崎は、左手でキィを捻り、イグニッションオン。
グォン、と低音とともに水平対抗6気筒エンジンは目覚めた。
左足でクラッチを切り、右手でシフトを操作する。
ゴクっという音とともにギアは1速へエンゲージされる。

徐々に左足を上げてクラッチを繋ぎ、グググと
クルマが動き出したところで完全にクラッチを繋ぐ。
同時に、右足でガスペダルをゆっくりと踏み込み、
稀崎のポルシェはスムーズに発信した。

助手席の工藤は何も話さない。
ただ、空を眺めている。

稀崎は、前が空いたところで一気にガスペダルを踏み込んだ。
ゴォオーーと高まるエンジン音と風切り音、
ジェット機の離陸を連想させる加速、
速度を上げるとドシリと安定感を増すポルシェの車体。

「あまりスピード出さないで」
久しぶりに聞いた言葉だった。

航空機の離発着の見える、稀崎の行きつけのカフェに到着した。
特に予定のない週末は、ここまでドライブしてカフェオレを飲むのが
稀崎の日常だった。

ポルシェで走ってきて一杯飲むのと、
他のクルマでここまで来て飲むの
とでは、外から観察される事象としては大差がないが、
クルマ好きにとってはそれは明確に違う。

稀崎も、ポルシェ以外のクルマでは
週末にわざわざここまでドライブして、
カフェオレを飲むという行為をする気には
到底ならないだろうなと考えている。

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