ゲンロク2019年4月号をゲットしてきた。
僕のマクラーレン愛を語る。
こちら、マクラーレン名古屋
前月のゲンロク2019年3月号
「スーパーカー自動車ロン
福野礼一郎の熱宇宙 6」
にて、
「マクラーレン540C
最上フィーリングの謎を解く1」が掲載されていた。
その続き。
今回は
「同 2」だ。
いやあ、カー雑誌の発売日を待ち遠しく思い、
本屋へダッシュして
(しかし、1軒目、2軒目の本屋さんには
ゲンロクが置いてなく、3軒目にしてやっと発見)
そして一目散にページを探し、
呼吸するのも忘れて、真剣に読んだのって
いつ以来だろう、、、
インターネットがまださほど普及していない時代は、
毎月26日に本屋へダッシュして、必死になって
読んでたよな。あの頃を思い出したよ。
ネットには書かないと宣言している福野礼一郎を読もうと
思うと、必然的にネット以前の時代のお作法になるね。
さて、そこまで待っていて読んだこの記事だが、
予想以上だったなぁ。
技術的なところはムズカシすぎて
全部は理解できないが、
僕が聞きたかった、知りたかったことはズバリ書いてある。
それは自動車史の中でこのレベルの運転フィーリングに至った
クルマは、マクラーレンF1を別格とすると、
ロータス・ヨーロッパくらいではないか、と。
福野さん、マクラーレン・F1大好きだもんね。
出た時、1億円でみんながビビる中、
福野礼一郎氏は「1億円は安すぎる」と
言っていて、いくら何でもそれは極端でしょ、と
思っていたが、その後、マクラーレンF一は15億くらいで
取引されるようになり、歴史が福野礼一郎氏の正しさを
証明した。
その後、スーパーカーのプライシングが
高騰しまくった2019年から見ると、
マクラーレン・F1が1億円というのは
確かに安すぎだった。
僕は、当時のGQ誌を大切に保管しているが、
本当に熱狂した。
それは、今思うと、
F40やポルシェ959に対するのとはまた少し違った
形の熱狂だった。
それは別格とすると、
マクラーレン・540Cは最上のフィーリングを持つ、と
書いてある。
裏を返せば、フェラーリやランボルギーニ、ポルシェ、
またマクラーレンのより上位のモデルよりも素晴らしい、という
意味にも取れる。
そして、福野礼一郎は、エンジンは、超絶レスポンスこそが大切であり、
自身はブランド愛好家ではなく、スポーツカーと運転愛好家であると
語っている。
いや、それは福野礼一郎の、過去にポルシェの
内外装パールホワイトを特注したり、
古いロールスロイス買ってバラバラにしてから直したり、
まだインターネット黎明期に
イギリスから不見転でネットで中古フェラーリを買っちゃって
レストアしたり、といった超絶自動車ライフをへて
たどり着いた悟りの境地だと思うが、、、
570Sだが、試乗したことがある。
高速道路、一般道にて。
生憎、小雨が降るなかであったが、
凄まじいまでのクルマとの一体感がある、と思った。
そして、アクセルを踏み込むと、
重力が変化したかのような加速。
その時の記事。
「2016年2月20日 投稿者: BP1178 マクラーレン試乗会にて。」
僕は確かにマクラーレンの走りが好きかもしれない。
マクラーレン買う場合、
ナンバーは何にするかというのがある。
以前、考えたのは
「・・22」。
マクラーレン時代のジェンソン・バトンのゼッケンで
いい番号だな、と思っていた。
だが、CG誌の長期リポート車で
加藤氏が乗るマクラーレンの希望ナンバーが
22で、きっと同じこと考えたんだよねぇ。
そこで、別の番号にするかあ、と思っている。
マクラーレン時代のキミ・ライコネンのゼッケンは
「9」とかか。
あとは、家族ブロック、嫁ブロック、夫ブロック、
配偶者ブロック、子どもブロック、○○ブロック、って
やつをどう回避するかだよなあ。
昔、BMWを買うときは、さほどブロックはなかった。
当時、周りで輸入車に乗ってる人はほとんどおらず、
うちの家族、一族にも皆無。
父は「外車デーラーなんて、入っていいんか、、」と
ビビってた記憶があるが。
ポルシェを買うときには、周りから
分相応にしなさい、とか、そんな不便なクルマ、どうするの? とか
強烈な逆風が吹いていた。
吹きまくってた。
「レガシィとかの方がいいんじゃないの?」って。
あの頃、レガシィB4 RSKに乗っている同僚がいて、
確かにものすごくいいクルマだった。
今から思うと、あのときレガシィを買っていたら、
かなり人生違ってたと思う。
何より、付き合ってる友達が全然違うだろうな。
プライベートで今付き合いのある友人は、
ほとんどクルマがらみで出会った人たちだ。
ポルシェを通じて出会った人たちは
本当に優秀で個性的な人が多く、
ものすごく感謝している。
さて、今マクラーレンを買おうとすると、
やはり強烈な逆風が吹く。
「そんなお金があるなら、マンションを買う方がいい」とか。
また面白いもので、昔はポルシェを買うことを反対されたのに、
今となっては「ポルシェくらいにしておいたら」!?的なことも
言われたりする。
ここから分かることは、人間のリミットを決めるのは
自分の価値観であり、そして人間は現状維持に安心するということ。
現状の維持であれば先が読めるので
安心するが、それを超えた世界は不安で
皆躊躇してしまう。
ところが、そこへ踏み出してしまえば、
それこそが現状になるので、
安心できるところになる。
マクラーレンを買って乗って、
ある程度大丈夫だったら、
次に「ブガッティが欲しい」と言ったら
今度は、
「マクラーレンくらいにしておいた方がいいんじゃない?」と
言われるんじゃないかなぁ、、、
そして、その次に
「今度はホンダジェットを買おうと思ってるんだけど、、」
と言ったら
「ブガッティぐらいにしておきなさい!」
って言われるんじゃないかなぁ、、、!?
読んでくださり、ありがとうございます。
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