最近、急激に話題になっているチャットGTPをはじめとしたAI。
AIにまつわる話を聞いていると、僕は森博嗣のWシリーズの
世界を連想してしまい、そして森博士の驚くべき先見の明に
目を見張らされる、、、
現在、よく見かける論調に、
AIは優秀だが、やはり人間が作ったもののほうが
重みがあり、その人の歴史を背負っている分、
感動がある。AIはその重みがなく、感動が薄い、
というものがある。
この論を聞くたびに僕はWシリーズのウォーカロンの話を
連想する。
Wシリーズの世界では、ウォーカロンと人間の差異について
議論がされている。
主人公たる研究者のハギリ博士は、ウォーカロンと人間の間に
差異はなく、ゆくゆくはウォーカロンも人間と同一だと
認められていくはず、との認識を持っている。
僕はAIも同じで、今は作ったのがAIか人間かで
区別(差別?)が行われているが、そのうち
AIが作ったものも人間が作ったものと全く同じ、という
認識になっていくのではないかなと考えている。
森博嗣の思考では、さらに人間という容れ物についても
話が展開しているが、現状、人類のテクノロジでは
そこまで追いついていないが、これも将来
必ずWシリーズの世界のような世の中になり、
人間の脳、というか意識、精神は
人間のカラダと分離することが可能になり、
場合によっては人工の体に移植することによって
寿命というものから解放される時がやってくると思う。
*それがもしかしたらオプティマス?という思いも少しある。
その際、Wシリーズでは人間が死ななくなると同時に
子供が産まれなくなるという副作用?が起きているが
現実世界でもそれが起きるかは不明。
ただ、すでに特に先進国では子供が産まれないというか、
子供が少なくなってくるという現象は顕著に起きており、
ある意味、Wシリーズで森博嗣が描いている世界が
すでに現出していると言えるのではないかと
僕は考えている。